いじめってなぁに?

こんにちは。ふらっとほわいとです。

 

私は、いじめられていました。

 

では、いじめってなんでしょうか?まずは定義について見てみましょう。

 

当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの

平成18年からの定義ですが、この時までは「発生件数」をカウントしていました。

 

さらに前には、

「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」
なお、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行う

これは平成6年からのいじめの定義です。

さらに前の平成5年以前はこのような定義でした。

①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

では、今はどんなものとなっているのか?
「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象と なった児童等が心身の苦痛を感じているもの」

 

次第に、「いじめられた児童」の立場て考えるようになっていったわけです。

 

以前から、いじめは「認知件数」をカウントしていたわけですが、今も減ってはいないはずですし、増えてもいないはずです。

 

実際に、いじめ追跡調査として、仲間はずれや無視、陰口などをされたことのある児童も9割、したことのある児童も9割います。

何なら教員だって、職員室の内外で毎日のように陰口を言っています。

正直言うと、愚痴は私も言ってしまうこともあるので、それが陰口と捉えられるならば、私も当てはまります。

 

さて、教員間のいじめがニュースになっています。しかし、ニュースになるのは氷山の一角ではないでしょうか?

 

普段なら咳をしていようが、熱があろうが、「職場では子どもたちのために」を合言葉に、朝から晩まで、文句を言われながら、愚痴を言いながら、働き続けている、学校大好き教員。今日のコロナウイルスの影響で、少しの咳が出ていると、熱がなくても、倦怠感がなくても、休ませられる。「事務仕事は後でもできる仕事だから帰りなさい」と言われる。

これは、事務仕事をしたい職員にとっては「精神的な苦痛」であり、今後子どもが学校に戻ってきたら、いつも以上に時間外勤務を必要とする。

 

わたしの結論として、いじめは「なくなりません」

醜い行為であり、なくなればいいけれど、ヒトが「人」であるかぎり、世の中からはなくならないものです。