いじめはなくならない
いじめはなくならない
わたしのいじめに対する考えだ。
いじめゼロを目指すために、さまざまな目標を立てたり、スローガンを作ったり、道徳で取り扱ったり、ドラマで訴えかけたりと、様々な方法でいじめを取りあげては、いじめはダメであるということを伝えている。
では、実際にいじめはなくなっているのか?
「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査について」
いじめについて確認してみると、いじめの"認知"件数は増加している。さらに、いじめの"解消"件数の割合は減少している。
問題ではないか?と考えていることは、2つある。
1つ目に、いじめの"認知"されている件数が増加している一方で、"解消"されている割合が減少しているということは、いじめを解消するまでには時間を要する(複雑化している可能性がある)いじめが増加しているということ。
2つ目に、いじめが"認知"されているだけであること。認知されているということは、解消へのキッカケになりうる。その一方、認知されないいじめもありうるだろう。認知されないということは解消されることは、ほとんどない。
さて、わたしはいじめはなくならない。と書いた。
増加しているからこそ、意識が変化していき、もしかしたら今後は減っていくかもしれない。しかし、ゼロとすることは本当に可能なのだろうか?
私たちは"認知件数"を増やすことが出来ている。そして、いじめの解消まで見守りを行っている。しかし、そのいじめは本当に解消されているのだろうか?"認知"していないだけではないのだろうか?
いじめは減らせるかもしれない。でも、あくまで得られているのは、いじめと認知された件数でしかない。見えないいじめがある以上、それを解消することは難しくなる。
つまり、いじめはたとえ減らすことは出来たとしても、なくすことは出来ないのではないだろうか?